【i地図通信847ブログ】ベトナム社会主義共和国ハノイ市の測量遺跡
ドイツ連邦共和国フランクフルト市で開催されるInterGEO2025に参加する途中で、ハノイ市に寄りました。
ベトナムの各王朝が築いた旧市街とフランスが統治した際に築いた新市街の境を、両者を比較しながら歩いてみました。終日雨で、大した動きはできませんでしたが、結構歩くのも大変で、広い範囲の統一した都市計画には測量が重要な役目を担っていることを感じました。
写真.1 旧市街の道路
写真1は、旧市街の道路です。代表的な道路といえるかは不明ですが、割とどこも幅員がありました。
旧市街の道路は、王朝時代に築かれた碁盤目区画の痕跡のような道路と、この道路を斜めに横切る最短経路優先と思われる道路とで構成されています。王朝時代の道路は、日本と異なり中国の思想、制度をそのまま取り入れるのではなく、地勢を優先しているそうです。つまり、紅河(ホン河)治水のための堤防や用水路建設が重視されたようです。測量技師の心意気を感じました。
写真.2 新市街の道路
碁盤目区画が、地図からも明確です。グーグルマップでは分かりづらいのですが、幅が広いところと狭いところがあり、どのような行政府を建てるのかでメリハリが付けられていると感じました。区画の向きは、旧市街に近い感じがします。北極星と太陽が真南(子午線上)にあることで、南北を決めているはずですが、何かの合理性があるのでしょう。
写真.3 歩道に寝転ぶ人
写真の左端、建物の側壁に二人の人が寝転んでいます。手前の人は、自転車に足を掛け、盗まれないようにしているようにも見えます。東南アジア流でしょうか、店先の歩道で屈んでいる人をよく見かけます。
写真.4 歩道に並ぶ小型(原付?)バイク群
幾つもこのような光景を見ました。通勤の要だが、駐輪場がないということでしょうか。
かなり旺盛の生き様を感じます。これらが、王朝時代が終わった後、近代化に伴って市街地の区画が大きく変わった誘因かもしれません。
写真.5 秒読み信号
小さくて見えづらいのですが、信号機に表示が変わるまでの秒をカウントダウンする掲示板が備えられています。交通行政も大変なようですが、カウントが終わる前に人も車も動き出しています。また、人が渡っていても速度を緩める気配がありません。かなり危険な状態です。
写真.6 昼食フォー
何かベトナム的なものをと、歩道上にテーブルを置く食堂でベトナムを代表するフォーを食べました。後で気付いたのですが、野菜が表面をたっぷり覆っていて、見た目にはフォーかどうかは分からない写真ですが、間違いありません。飲み物は紅茶です。
フォーは50,000ドン、紅茶は40,000ドンでした。食べ物と飲み物の値段があまり変わりません。
測量遺跡の写真に加え、ベトナムの生活が見える写真を幾つか載せました。
ハノイ市の広さを体で感じられ、広い範囲の統一した都市計画には測量が重要な役割を担っていることが体に染み込んだことは、大きな成果でした。
(了)
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